沖縄大学入学式

沖縄大学の入学式。
特別支援学校から進学した私にとって、一般の大学生たちに囲まれる環境は初めてのことで、期待と同時に大きな不安を感じました。
新しい生活へのワクワクした気持ちもありつつ、周囲との違いに戸惑い、自然と体がこわばってしまいました。
この日、緊張しながらも一歩を踏み出したことが、これからの大学生活の大きなスタートになったと感じています。
楽しかった大学生活の始まり
大学1年の4月と5月は、本当に楽しかった。
みんなが気を遣ってくれて、優しく声をかけてくれた。
まさに最高のスタートだった。
高校3年生のとき、
「サークルに入りたい」と思いつつ、
大学はじめにまだ会ったことのない先輩から
「ダイビングサークル」どう?と誘われて、元々、海に関して興味を持っていたので入ることになった。
または、1年生と2年生でペンションに泊まったり、ゼミでスポーツや写真撮影を楽しんだり、女子からも人気がありと、今を思い返せば、最高の大学生活だった。
変わってしまった日々
しかし、なぜか私は体験版ダイビングサークルを辞めてしまいました。
そしてペンション行っていたグループラインにも退会してしまいました。
理由はよく覚えていませんが、それが今になるとものすごく後悔しています。
そこからというのも、大学4年前期までの間、ほとんど一人で講義を受けるようになりました。
孤独で大学生がいう存在が薄いイメージだったかもしれません。
友達からの連絡もほとんどなく、ゼミ生も退学するなどして、寂しかった。
話してくれても、一言二言会話ぐらいしかできず、深い親友はできなかったです。
6月以降、転々とサークルに入ったり、沖大実行委員会に関わったりもしたが、なかなか友達を作ることはできなかった。
毎日、ほとんど一人で、バスの中で泣いたり、帰り道でふと嫌な思い出して涙が出たり、楽しそうに過ごす友達を見て羨ましくなったりと、心が痛む日々でした。
中には、障害をバカにする学生や、障害について否定的な教授もいて、精神的にも辛くなることもありました。
さらに、私は友達になりたくても、失語症の影響なのか会話を続けることが難しかたです。
それがますます孤独を深める原因になった。
ひたすら講義と課題に打ち込んだ日々
大学一年の時に
「私が思っていた大学生と全然違う」
ことから、両親に
「大学退学したい」
こともありました。そしたら、
「もう少し頑張ってみたら?」
と言われ、私は大学生活始まったし4年間勤勉を頑張ろうと思い必死で励んできました。
トータル的にはものすごく難しく、レポートや課題に追われとても苦しい日々でしたが、
卒業できたことが
「逞しく自信に繋がった」と感じました。
友達を作るのが難しくても、大学生活を無駄にはしたくなかった。
だから、私は講義や課題にひたすら打ち込んできました。
勉強することで、自分の存在価値を見つけたかったのかもしれません。
毎日必死だったが、その分、大学の成績はしっかりと残せました。
やっとできた親友たち
そんな私にも、転機が訪れました。
大学4年の後期になって、ようやく仲の良い友達ができた気がしました。同じ福祉分野の友達でその友達たちと一緒に映画を見たり、食事をしたり、ボウリングをしたりとなんだかものすごく楽しかった。
ずっと求めていた「学生ならではの青春」を取り戻した気がした。
コロナ禍でまた孤独に
しかし、幸せは長くは続きませんでした。
卒業と同時に、新型コロナウイルスが世界的に猛威を振るい始めてきました。
せっかくできた友達と会う機会もなくなり、再び孤独な時間が訪れました。
それでも、大学生活での経験は、私にとってかけがえのないものでした。
苦しいことも多かったが、それを乗り越えて得たものも確かにありました。
最後に
大学生活4年間を振り返って私は決して楽しいことばかりではありませんでした。
孤独を感じている人がいたら、私は伝えたい。
「どんなに時間がかかっても、きっとあなたを理解してくれる人が現れる」
ですが、私みたいにあれもこれも移動していたら、友達は難しいと思います。
これから大学生活になる段階から、
「〇〇が好きだからあのサークルに入ろう」や
大学始まってから、相性が良い友達を見つけたらすぐ
「その友達と親密に関わる」ことを、大切な大学生活を一日も無駄にしないように心がけると良いと思います。
悔いのないキャンパスライフ送れることを心から願っています。