
【高次脳機能障害と社会的行動障害】人と関わるのが怖くなった。そんな自分を許せなかった日々

はじめに:普通に人と付き合うことがなぜこんなに難しいのか

こんにちは
ゆうきです!
私は高次脳機能障害の当事者です。
「またやってしまった…」「そんなつもりじゃなかったのに…」
これは、私が高次脳機能障害を抱えてから、数えきれなく口にしてきた言葉です。
12歳の頃、突然の脳出血によって、私は右半身麻痺と高次脳機能障害という“見えない障害”を抱えるようになりました。
その中でも、私を最も苦しめているのが「社会的行動障害」です。
社会的行動障害は、人と人との関係性を築くうえで大切な「空気を読む」「気持ちを察する」「自分の感情をコントロールする」といった力が弱くなる障害です。
見た目にはまったく分からないため、周囲からは「わがまま」「自己中心的」「空気が読めない人」と誤解されてしまいがちです。
しかし、それは決して性格の問題ではありません。
私たちにとっては、脳の損傷によって「相手の気持ちを想像する」「場の雰囲気を読む」といった力そのものが弱くなっているのです。
私はよく、「こうされたら嫌だろう」と頭では思っていても、実際の言動でそれを表現できず、相手を不快にさせてしまうことが多々ありました。
そのたびに後悔し、落ち込み、「なんで自分はこんなにうまくやれないんだろう」と自分を責める日々が続きました。
大学時代も、社会に出てからも、人間関係がうまくいかず孤立することが多く、友達と楽しそうに話している他の人たちが、まぶしく、そしてうらやましく見えました。
「本当は、私もあの中に入りたかった」 「普通に仲良くできるだけでいいのに」
そんな思いを抱えながら、でもうまくできない自分が情けなく、悲しく、何度も泣いたことを思い出します。
この障害の存在は、私にとって人生の中で最も嫌いで、最も苦しいものでした。
それでも、今は少しずつ自分を許し、「できないこと」ではなく「できるようになりたい気持ち」に目を向けて、一歩ずつ前を向こうとしています。
社会的行動障害とは?

「社会的行動障害」とは、高次脳機能障害の一つの症状で、人との関わり方や感情のコントロール、社会的な振る舞いに支障が出る状態を指します。
これは単なる「性格の問題」ではなく、脳の損傷(特に前頭葉)によって引き起こされるれっきとした医学的な症状です。
対人技能が極端に乏しくなる苦しみ

社会的行動障害を持つ人の多くは、「対人技能拙劣(たいじんぎのうせつれつ)」という困難を抱えています。
これは、他人と円滑に人間関係を築くための基本的なスキルで、挨拶、共感、タイミングを見て話す、適切な距離感を保つことが著しく苦手になってしまう状態です。
私自身も皆様に情報を提供していますが、私もわかっていても、失敗することもあり、何気ない会話の中で相手の気持ちを読み取れず、トゲのあるような言い方をしてしまったり、場にそぐわない冗談を言ってしまったりしたことがあります。
自分では悪気がなかったとしても、相手を傷つけてしまった後に、その表情から「何かおかしかったのかもしれない」と気づいても、すでに遅いのです。
人との会話は、言葉だけでなく空気を読み取ったり、相手の顔色を見ながら行う繊細なキャッチボールです。
しかし私たちには、その投げ方も受け取り方も分からないのです。
「普通に人と関わりたい」その願いが届かない
「どうして私だけうまくできないのだろう」
大学時代、仲間と自然に会話している周囲の人たちがまぶしくて仕方がありませんでした。
私も、心から笑い合える友達が欲しかったし、冗談を言い合って、何気ないことで笑いたかった。
でも、私は会話の中で調子に乗ってしまい、相手をバカにするような発言をしてしまったり、「やりすぎだよ」と言われるまで自分の言動の異常さに気づけなかったりしました。
何度も繰り返す失敗の中で、私は人と距離を取るようになっていきました。
友達の輪に入りたくても入れない。努力してもうまくいかない。
そして孤独になって、暗い気持ちのまま部屋でひとり泣く夜がありました。
他人が幸せそうに見えることが、こんなにつらいとは
人付き合いが苦手な自分と、自然に人間関係を築けている周囲の人との差。
それを見るたびに、私はどんどん自分に自信をなくしていきました。
「自分はダメな人間なんだ」
そう思うようになり、つらくて、悲しくて、誰にも言えない孤独に包まれました。
これが、私にとって一番苦しい障害なのです。
社会的行動障害は、前頭葉など脳の一部に障害が起きたことで、
- 相手の気持ちを読み取るのが難しい
- 場の空気を読むことができない
- 思いを言葉にするタイミングが遠い
- 感情が爆発しやすく、制御できない
こういった状態が起こりやすくなります。
私の場合も、相手を思いやるつもりで話したことが、逆に傷つけてしまったことが何度もありました。
「そんなこと言われたくない」「なんでそんなことをするの?」と怒られて、はじめて「あ、いけなかったんだ」と気づく
そんなことばかりです。
もちろん、わざとではありません。
本当は仲良くしたかった。本当は嫌な思いをさせたくなかった。
それでも、何が悪かったのかが分からず、人との関係がうまく築けないのです。
この障害が一番苦しい理由

つながりが欲しいのに、遠ざけてしまう自分が嫌いだった
大学時代、私はたくさんの出会いに恵まれました。
でも、人との付き合い方が分からず、距離の取り方を間違えたり、冗談のつもりが相手を不快にさせてしまったり。
「空気が読めない人」「ちょっと変な人」と思われてしまい、次第に関係が途切れていきました。
本当は、友達と笑い合って過ごしたかった。皆とワイワイできる青春が欲しかった。
それが叶わず、ひとりで過ごす時間が増え、どんどん孤独になっていきました。
周りの人が幸せそうに見えて、自分が情けなくなった
SNSや学内で、友達と楽しそうにしている人を見るたびに胸が痛みました。
「私も、あの輪の中に入りたかった」 「普通に雑談できるだけでいいのに」
そんな願いが通じず、寂しさが募る日々。誰にも言えない気持ちを抱えて、バスの中や帰り際涙した夜もしょっちゅうありました。
この障害のせいで、人とのつながりを失っていくことが、本当に一番つらかった。だからこそ、私はこの障害が一番嫌いなのです。
それでも、思いやる気持ちは諦めない

私なりにできる工夫
「冷たい人間なんかじゃない」 「人を思う気持ちくらいある」
そう自分を信じたくて、私はいろいろな工夫をしてきました。
- 相手の表情や声のトーンをよく観察する
- 言いすぎたと感じたら、すぐに謝る
- 自分の発言をあとで振り返って「どうだったかな」と考える
- 率直に「変なこと言ってないかな?」と相手に聞いてみる
完璧ではありません。 でも、小さな積み重ねで、少しでも人と向き合えるようになりたい。
そして何より、「それでも人を思いたい」という気持ちがあるかぎり、私は前を向きたいと思うのです。
おわりに:遠回りでも、人を思う人間でいたい
社会的行動障害。
それは、私の世界を大きく変えてしまった障害です。
人の笑顔が怖くなり、会話が苦手になり、孤独が日常になってしまった。
でもその痛みを知っているからこそ、優しくなれると思います。
思いやれなかった日も、失敗した日もある。 それでも私は、歩み続けたい。
「どうすれば、もっと思いやれたのか」 「どうすれば、相手を安心させられるのか」
今も考え続けています。
あなたも、どうか自分を責めすぎないでください。
思いやりたいと願う気持ち、それだけで、あなたは美しく、優しい人です。