【名前】
島袋 友希(しまぶくろ ゆうき)/yuki shimabukuro
【生い立ち】
1997年9月7日沖縄県浦添市出身
私は元気な男の子でした👨
そちらが100日記念です↓

それから、12歳まで元気に過ごしていました。
【12歳、突然起きた壁】
12月9日私は、その時の記憶は未だ覚えていません。
もともと、勉強が好きで、上位ランクにいて、クラスにも友達できていて、毎日楽しい日々を送っていました。
ですが、その日の夜は以上に「頭がいたい!」と叫ぶようなことが起き、意識も朦朧したらしく、私は脳出血により倒れました。
倒れて、何件か救急車に電話したが対応できないだったらしく、結果浦添総合病院にて緊急手術を行いました。
家族の話によると、その時の生存確率は限りなく少なかったそうです。
お医者さんの手術や家族・親族からの祈り、また私ももう一度神様から与えてくれたのか、私は限りなく僅かなパーセントをまた生きる事ができました。
だが、障害が残り脳出血により右半身麻痺は残りました。
最初は、寝たきりから始まり、目覚めた頃は家族・親族がほぼずっとお見舞いに来てくれていました。
目は開いていたものの、何も動けずにいましたが、ずっとそばにいてくれたこと、手を抱きしめることなどが、今でもすごく温もりを感じています。
それからの約半年間の入院・懸命なリハビリ生活が始まり寝たきりを
家族や先生、作業療法士、理学療法士、言語聴覚士と向き合い
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車椅子生活
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杖付き
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杖なしの生活まで回復することができました。
家族のサポートやリハビリの先生方のお陰です。
一定期間入院・リハビリを得て、
家族からリハビリ頑張ったことがきっかけで、私の13歳の誕生日に2泊3日の福岡旅行に行きました。
私は、倒れる前から小久保選手が好きで野球が大好きになりました。
下記の写真は、ソフトバンクホークス小久保選手との写真です。とても良い思い出ができました。

勉学の方では、普通中学からきたが、勉強の遅れや大きな環境の問題もあり、
中学3年生から特別支援学校に転入しました。
そこで、特別支援学校で4年間学習に励み
高校3年時、特別支援学校から、AO入試で私立大学を合格
大学では福祉文化学科社会福祉専攻を受講し、
社会福祉主事取得
22歳で卒業
その後、岡山県の国立吉備高原職業リハビリテーションセンターでオフィスワークを学び、24歳で退所
沖縄に戻り、就労継続支援A型事業所で働くできた
尚、一人暮らしすることも出来た。
そして、働きながら簿記3級も合格することができた
現在に至る